<つかこうへい演劇の音響効果論>
氏の演劇において効果音楽の音量の急激な上げ、下げが特徴でした。1980年代他の劇団もこの手法を模倣したものが多くありました。しかしこの操作の本当の意味を理解して操作している劇団、音響さんは今まで見たことはありません。形だけ模倣して、芝居から遊離しているものがほとんどです。
一般的に芝居は音響にどのような効果を求めているのでしょうか?
1、背景
2、状況
3、時間
4、心理
5、転換
以上5点が主なものでしょう。氏の演劇にはさらに以下のものが求められます。
6、客席の温度上昇
7、舞台美術
「熱海殺人事件」を題材に説明して行きましょう。
開演定刻にチャイコフスキーの「白鳥の湖」が流れます。曲のイントロは客席のノイズ(客同士の会話など)に埋もれたレベルでスタートします。この状態で開演していると認識出来る客は20%ぐらいです。オーボエのBメロで50%ぐらいの客に開演を認識させます。そしてフォルテシモで最大レベルになります。お客は耳を押さえたくなるような音量です。その音量の中、部長刑事は何かしゃべっていますが全く何も聞こえません。観客は必死に聞き取ろうと体を前に持っていこうとしますが大音量の為体は座席の背もたれに密着しています。その瞬間、音がBGMレベルに一気に下がるので観客も一気に体が前のめりになります。はじめて台詞が聞こえます。「ばかやろう!」の第一声が。この第一声で観客はまた後ろへ飛ばされます。
これは前述4と6の効果をねらったものです。
4は普通登場人物の心理ですが、この場面では観客の心理を
「なんかとんでもない芝居を見に来てしまった」
「これからこの芝居はどうなってしまうんだろう」
「なにがなんだか訳が分からない」
など混乱状態にしています。その状況の中でさらに
「ばかやろう!こんなブスの写真が使える訳ねーだろう。修正、修正だよ!」
と普通の警察では考えられない台詞がポンポン出てきて観客が面食らっている間に一気に音量が上がります。もう手が付けられない状況です。その中に熊田刑事が登場し二人のやりとりの中で熊田刑事は普通の刑事、部長は普通の取り調べをしない「飛んでる刑事」という概念を観客に植え付けます。
幕開きから約4~5分で部長刑事の人格を表わさなければなりません。これを失敗すると取調室の犯人とのやりとり、犯人の自白の後、そして最後の「いい火かげんだ!」に繋がらなくなり、単なるおちゃらけ部長刑事になってしまいます。
こうした効果の結果、観客が前のめりになったり飛ばされたりして客席の空気が前後に激しく移動するのです。そして客席の温度が上昇するのです。温度が上昇すると台詞がストレートに聞こえ(中学の物理:音速m/sec=331.5+0.607t t=摂氏温度)客席のテンションも上がる訳です。
次ぎに取調室で犯人を自白させようと様々な手で引っかけようとします。その中で犯人の心情を熱海の海岸へ持っていくために「海へ行こう」と台詞があって音楽がカットインしますが、この時の音の入り方は取調室から一気に熱海の海岸へと場面転換するようにしなければなりません。全員でダンスをしていきなり音カットアウト。カットアウトで取調室へと場面転換。これを大道具で転換するとずいぶんと間延びした芝居になってしまいます。氏の演劇の舞台転換は音響と照明だけで行うのです。
次ぎに熱海の海岸での犯行の自白場面です。薄くBGMが流れます。地方出身の幼なじみである犯人と被害者アイ子のやりとりの中で幼い頃の思い出話があります。村相撲で大関を張っていた犯人。相撲大会で「金ちゃんがんばってー」と応援しているアイ子。この幼い2人の情景が観客の第3の目に見えるように音を流します。役者論後半で述べたことと同じです。この時のBGMレベルの取り方が非常に重要です。「観客の第3の目に見えるような音」のレベルは一つしかありません。少しでも間違うと絶対に見えません。例えば火事の効果音を再生する場合、火事の音を出せば観客は火事だと認識しますが、その場面の火事はどのような意味を持った火事なのか、どれほど危険な火事なのかといったことまで観客に見える音量は一つしかないということです。レベルを誤ると違った意味または意味を持たない音になってしまうことがわかるでしょう。
純で素朴だったアイ子は東京へ出てきてスレた人間になっています。犯人に「この田舎もんが」とバカにします。そしてついに「百姓」と言ってはならない言葉を言い、犯人はアイ子の首を絞めます。ここでは純粋素朴な犯人の心情とアイ子の見下した心情をそれぞれ切り換えてBGMレベルを変えていきます。
この場面の音響効果は背景、状況、時間、心理全ての表現が必要です。
つかこうへい演劇の音響効果は激しい音の上げ下げが特徴でそのやり方が一つのスタイルになりました。しかし本当のつか演劇の音効の本質は音の上げ下げではないのです。台詞のバックに流れている聞こえるか聞こえないかのBGMが「今台詞を言っている役者の相手の役者についている」のが特徴なのです。普通は台詞を言っている役者を見てしまいますが、氏の芝居では言われている役者に目をむけるのです。この操作方法は氏の芝居に限らず商業演劇、新劇などすべてに当てはまりますが、そのような操作をしている音効さんはあまり見かけません。結局見た目以上に見えない芝居になってしまうのです。
しかしこの操作方法の良い結果は観客にしか分からないのです。それも舞台を見終わって何カ月もしてから出てくるのです。いわゆるフラッシュバックです。観客にいくつものフラッシュバックをさせる音効、これが私の望む究極の音効です。
2001.2.17